過去・今・未来を見つめるメッセージ Vol.1 南三陸町町長 佐藤 仁さん
2011年3月11日の東日本大震災から10年。かつて被災した街の様子はすっかり変わりましたが、あの震災の記憶は、今も人々の心の中にあります。
Civic Force(シビックフォース)の東日本大震災被災地支援活動の中で出会った人々に聞くシリーズ「過去・今・未来を見つめるメッセージ」の第一回目は、南三陸町の佐藤仁町長です。
2020年10月に開園した宮城県南三陸町の震災復興祈念公園内にかつての防災対策庁舎がある。高さ15メートルを超える津波に丸ごと飲まれ、防災無線で最後まで避難を呼びかけていた職員ら多くが犠牲となった。津波は町役場や警察署、消防署、公立病院などが集まる町の中心部を襲い、住宅の約6割が全壊。町内の人口約1万7000人のうち、620人が亡くなり、今も211人の行方がわかっていない(2020年12月末時点)。
壊滅的な被害の中、奇跡の生還を果たした人々がいた。その一人が、佐藤町長だ。町議会の閉会間際に起きた地震を受けてすぐ防災対策庁舎に移動し、屋上から避難を呼びかけていたが、屋上で津波に襲われ、とっさに目の前の手すりにしがみつき、水をかぶったが、なんとか死を免れた。防災対策庁舎に流れ着いた流木を燃やして暖をとった。
ロープを伝って水没した町におりたのは、翌12日の早朝。避難所を回って生き残った人々の無事を確認し、町の総合体育館に災害対策本部を設置した。
「町長は防災服を着ていましたが、着の身着のままの状態で、おそらく10日以上お風呂に入れず布団で眠ることもなく業務に当たられていました」。当時の町長の様子をこう振り返るのは、シビックフォースの根木佳織事務局長。壊滅的な風景の中でも気丈な姿勢で、支援者との連携にも積極的だった。
電気やガス、水道などライフライン復旧の目処が立たないなか、根木は佐藤町長や町民の意見を聞きながら緊急支援物資などをタイムリーに届ける支援に尽力した。
「南三陸町は、1960年のチリ地震などこれまで何度も大きな津波を経験しましたが、あれほど大きな津波は初。町は本当に無惨な姿になりました」。そう振り返る佐藤町長はこの10年、生き残った人たちの生活再建と災害に強いまちづくりに奔走してきた。
東日本大震災の後、佐藤町長は2013年と2017年に再選を果たし、現在4期目を務める。震災の教訓を踏まえ、町民が海とともに安心して暮らし続けられるよう、"職住分離"を基本に住居や公共施設を高台に配置して町づくりを進めてきた。
「国内外の手厚い支援に感謝しています。全国の皆さん、生まれ変わった新しい南三陸の町をまたみにきてください」と笑顔で呼びかけている。
<疲労が蓄積されていた役場職員らに届けたCivic Forceのトレーラーハウス>
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