台風30号から2週間以上が経過した現在も、フィリピンの被災地では、物資が圧倒的に不足し、厳しい環境のなかで生活している人々が大勢います。今回は、Civic Forceの緊急物資配布先の一つであるフィリピン中部・レイテ島に渡る船のなかで出会った被災者の方々の声をお届けします。

「レイテに戻って知人の死を知るのが怖い」
―アレックス・マーカリオさん 40歳 レイテ島パロ地区在住
妻と9歳の娘と3人で、レイテ島東海岸部のパロ市に住んでいました。台風が発災したときは、妻が2人目を出産するため、タクロバン市の病院にいましたが、帝王切開が必要だったことから11月11日に飛行機でセブへ移動し、セブの病院で女児を出産しました。パロの家は跡形もなくなってしまいましたが、母子共に健康で、子どもの名前は、神からの「ギフト」を意味する「Heba(ヘバ)とつけました。
明日から、パロの病院のドライバーとしての仕事を再開しますが、まずは掃除から始めることになるでしょう。病院も屋根が吹き飛んでしまいましたが、しばらくは病院内で寝泊まりしながら勤務することになります。復興が進むまで当面の間は、妻子を妻の兄の家があるセブに残し、休暇ごとに会いに行こうと思っています。
レイテ島に住んでいた親戚が、今分かっているかぎりで10人ほど死んでしまいました。レイテに戻ったら、きっと知り合いや親戚、友人の死者数が増えているだろうと思いますが、それを知るのはとても怖いし、辛いですね。

「タクロバンの町は壊滅状態。食糧も手に入らない」
―アロン・ペドロッサさん 28歳 レイテ島タクロバン出身
私はフィリピンのNGOで弁護士をしていて、台風が直撃した11月8日は仕事のためマニラにいて無事でした。しかし、タクロバンにいる家族と連絡が取れず、3日後に現地に向かいました。家族は幸い無事でしたが、2階の天井まで水が上がってきたため天井に空いた隙間から屋根にのぼって一命を取り留めたと言います。
タクロバンのサン・ホセ地区では避難所が海の近くだったためたくさんの犠牲者が出ました。道路には遺体が並べられ、数えただけでも65体ありました。
家族と3日間過ごしましたが、食糧を手に入れることができませんでした。人々は食べ物を求めてさまよい歩き、見つけたら奪い合っていました。夜寝るときには鉄パイプをそばに置いて寝るほど恐怖でした。家族はマニラにいるおじさんの家に避難しています。でも96歳の祖母と78歳の叔母は「ここで生まれ、生活してきたのでマニラにはいかない。町が壊滅状態でも生きていく場所はここしかない」と今もタクロバンに残っています。
これから仕事のためレイテ島、サマール島に向かい、1週間ほどでマニラに戻る予定です。タクロバンではまだ食糧が手に入りにくいので祖母と叔母の安全を考えてマニラに連れて行くしかありません。
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被災地ではまだまだ物資が不足しています。今回の配給も被災地全体の一部に過ぎませんが、引き続き、少しでも多くの方に物資を届けるために、支援活動を続けていきます。今後とも皆さまのご支援をお願いいたします。
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