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被災地を支援する

2014/04/21

【東日本大震災支援】孤立化する避難者と"つながる"ために(後編)

前回に続き、原発事故の避難者の実態を把握し、広島県神石高原町への移住を推進するnina(にいな)神石高原の活動について紹介します。nina神石高原は、避難先で差別を受けるなど避難者が置かれた厳しい現実に直面するとともに、一人でも多くの人が安心して生活できるよう、彼らを受け入れるための準備を進めています。

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「福島の外資系企業に勤めていたが原発事故の影響でリストラされ、今も無職」

「東電の原発で働いていたが“下剋上”で辞め、移住してきた」

「震災で負傷し、広島にいた息子を頼ってここまで来た」

―――平和祈念公園を眼下に望むホテル「サンルート広島」で、2013年10月、「浪江町広島避難者交流会」が開催され、広島で暮らす避難者約10人が集まりました。会合では、広島に移ってきたいきさつや現在の生活状況について、お互いの境遇を話すことから始まり、県による支援や制度の仕組みなどについて意見交換しました。

その広島から新幹線で2駅。広島県東部の「福山」でも、2014年1月、避難者の孤立防止を目的とした「福山交流カフェ」が開催されました。主催は、避難者が次のステップを踏み出す力をサポートするために設立された、ひろしま避難者の会「アスチカ」。会の登録者数は350人にのぼります。この日は、尾道でレストランを開業した夫婦や、農業を始めた家族、子どもを連れて避難してきた女性など約20人が参加し、自己紹介を兼ねて交流を深めました。

2011年3月11日の震災から3年以上が経過しましたが、未だ故郷に帰れない原発避難者は13万人。このうち約3割は県外で生活し、多くは友人や親せきなど親しくしていた人々と離れて暮らし、中には家族ともちりじりになり、二重生活を送っている人もいます。慣れない土地で孤立化する人々を少しでも減らしたい、との思いで、細々と続けられている避難者交流の会。nina神石高原の活動の一つは、こうした避難者の会に積極的に参加し、一人一人の声を直接聞くとともに、神石高原での取り組みについて紹介していくことです。

resizeCIMG0546.jpg「全国に散らばって暮らす避難者とどのようにコンタクトをとり、移住希望者を発掘することができるか、それが最初の課題」と話すnina神石高原の上山さんと入江嘉則さん。そのカギとなるのが、すでに長期にわたって避難者支援を続けるNPOや避難者支援に積極的な自治体、避難者情報に詳しい大学関係者などとの連携です。

上山さんらは、これまでに福島県内避難者が多い二本松市やいわき市の他、広島やその周辺地域、避難者の受け入れに積極的な山形県(写真)などに赴いて地元NPOや行政機関の関係者とコンタクトをとり、避難者の生活状況についてヒアリングを続けてきました。また、浪江町など放射線量の高い地域の住民の生活や移住希望に関する調査を実施し、神石高原町の紹介や移住説明会などを続けてきました。

放射線量の多い地域で暮らす住民は、高齢者が多く、「広島は遠すぎる」「被災直後からもう何度も避難先を変えなければならず、これ以上は移動したくない」という人が多いと言います。一方、すでに広島県に移住し新しい生活を始めている人の中には、住居や就労のサポートだけでなく、子どもの教育や親の介護など生活全般に対する支援があれば移住を考えたい、という声も出始めています。また、交流会で会った人や口コミで聞いたという人などからの問い合わせも少しずつ増えています。

nina神石高原では、今後、移住説明会の機会を増やすとともに、実際に神石高原町に足を運んでもらおうと、神石高原への訪問ツアーも開催する予定です。

そして、避難者を受け入れるにあたっては、雇用や生活面のサポート、そして神石高原で暮らす地元住民の理解が不可欠です。そのため、地元の行政や県内外のNPO、企業などが進める地域活性化に向けた取り組みと連携し、移住希望者も安心して暮らせるまちづくりを目指しています。