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活動報告

被災地を支援する

2016/10/22

【熊本地震】「今こそ町を盛り上げたい」ーー通潤橋応援プロジェクト(前編)

被害件数150件 ------- 今年4月14日以降、相次いで発生している熊本地震の影響で、国指定の文化財がことごとく被害にあっています。熊本城や阿蘇神社など報道で取り上げられている文化財の他にも、県指定や市町村指定、未指定ではあっても地域の核となる社寺や民家、伝統行事にかかわる建物や道具、民俗慣習を伝える資料などが被害を受けています。

地域の歴史と文化、共通の思い出や記憶を大切にしながら、その後の生活再建やまちの復興を図るためには、このような文化財の被害状況を確認し、所有者や管理団体の要請に応じた応急措置や技術的支援などが必要です。文部科学省や大学などが中心となって被害状況の調査に乗り出していますが、修復には長い時間と膨大な資金が必要です。

こうした中、Civic Forceは、今年6月から地域の遺産復活と新しいまちづくりを目指して動き出した、熊本の若手農業従事者のプロジェクトを応援しています。

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農業の歴史を受け継ぐ現役の水路橋「通潤橋」

今回の熊本地震で被害を受けた文化財の中に、江戸時代から続く「通潤橋(つうじゅんきょう)」という橋があります。熊本空港から車で約45分、熊本県の東部、九州のほぼ中央に位置する上益城町・山都町にあるこの橋は、世界でも非常に珍しいアーチ状の石橋です。

江戸時代、水の便が悪く水不足に悩んでいた白糸台地の住民を救うため、時の惣庄屋(現在の村長)だった布田保之助け(ふたやすのぬけ)が、肥後の石工たちの持つ技術を結集させて建設し、村の人々に大きな希望を与えたと言われています。長さ75.6cm、高さ20.2m。橋の上部に凹字形に折れ曲がった石管(吹上樋)を3列載せ、サイフォンの原理を応用して水を用水路に運ぶこの橋は、今も周辺の田畑を潤す現役の水路橋。昭和35年には、日本最大級の石造りアーチ水路橋として国の重要文化財に指定され、石管につまった土砂を排出されるために行う「放水」は全国から毎年50万人以上が訪れる迫力ある観光名所として知られています。

現役の農業用水として活用されてきたこの橋は、農業を営む町の人々の生活を支えてきましたが、今回の地震の影響で水を通す石管の接合部が破損。放水できなくなり、町の農業や観光、経済に大きな打撃を与えています。修復のためには膨大な費用と時間がかかりますが、その間にも町を離れたり農業をやめてしまう人がいるなど、以前から課題となっていた少子高齢化と過疎化に追い打ちをかけています。

※写真は震災前の放水の様子

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若手農家が復活させた「お田植祭」

こうした中、地元の若手農業従事者が集まり「通潤橋応援プロジェクトチーム」が発足しました。チームは、地域の結束力を高めるとともに、被災状況を広く知ってもらうことで長期化が予想される通潤橋修復のための支援を集めようと、6月に「お田植祭」を実施しました。

農作業の工程を模擬的に演じながら豊作を祈念する「お田植祭in通潤橋」は、通潤橋前にある棚田を利用して、3年前からJAかみましき青壮年部矢部支部が始めた行事。しかし、震災やその後の豪雨の影響で周辺の山や田畑が損壊するなど甚大な被害を受け、その修復に追われ自粛ムードも高まるなか、中止の選択肢が浮上します。

「でも、こんなときだからこそ元気な私たちの様子を発信したい」。チーム代表の三浦祝弘さん(三浦農園)と事務局の中畠由博さん(なかはた農園)らは、こう考え、なんとかお田植祭を実施しようと決意しました。そして、例年以上に祭を盛り上げ、今こそ通潤橋の現状を広く知ってもらう機会にしようと広く協力を呼びかけることにしたのです。

プロジェクトメンバーは、20代から40代の若手農家や自営業者を中心に、町の観光協会や商工会、学生、東京から移住してきたデザイナーやライターなどさまざまな職種の総勢約50人。お田植祭の実施にあたっては、連日、仕事の合間や就業後に、近所の飲食店などに集まって話し合いを重ねたと言います。

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そして迎えたお田植祭当日の6月5日、全国から家族連れなど1000人近くが集まりました。田植体験をはじめ、田んぼのなかでバレーボールやサッカーなどを行う「泥んこ競技」では、泥だらけになりながら体を動かし、たくさんの笑い声が飛び交いました。また、メンバーの協力により懐かしの名車が100台集合する「オールドカー・ミーティング」も実施され、二階建てロンドンバスで町内を巡回する催しや地元ミュージシャンによるライブコンサートも好評でした。

参加者のなかには、チームが招待した益城町の小学生の姿もあり、震災のことを忘れて夢中になれる時間を過ごすことができたようです。

山都町観光協会の中嶋あゆみさんは「地震後何かと暗い雰囲気の中、この日は参加者に笑顔あふれる楽しい時間を過ごしていただけたと思います。県内外から多くの人が来場し、また遠く離れた場所からも支援をいただいたおかげで無事に開催することができました」と振り返ります。

また、この日を皮切りに町では「通潤橋義援金ボックス」を設置。6月10日からは、通潤橋の修復に向けて町も動き出し、「通潤橋復興支援金」の募集が開始されました。そして、文部科学省の支援も決定し、現在、通潤橋の修復に向けた調査が行われています。

チームでは、お田植祭ではを皮切りに、メンバーの岸知恵さんがデザインした通潤橋応援Tシャツ「No通潤橋,Noライフ」の販売も開始し、売り上げはすべて「通潤橋復興支援金」に寄付。Tシャツは、現在道の駅通潤橋などで購入できます。

 

後編はこちらから→http://www.civic-force.org/news/news-1709.php