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活動報告

被災地を支援する

2013/03/19

「緑の真珠」に魅せられた "よそもの"―NPOパートナー協働事業

東日本大震災発生後、変わる被災地のニーズにより広く対応するため、2011年4月から続けてきたCivic ForceのNPOパートナー協働事業。第4期では、中長期的な視点で地域の復興に貢献する被災地発の取り組みをサポートしています。今回は、宮城県気仙沼市の有人離島「大島」で、ボランティアのコーディネート、島で暮らす人々の生活サポートなどを通じ、長期的なまちづくりを支援する「気仙沼大島まちづくりサポート」の活動について紹介します。

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宮城県気仙沼港からフェリーで約20分。気仙沼「大島」は、人口約3,000人、約1,000世帯(2012年3月31日現在)が暮らす、東北地方最大級の有人離島です。小田の浜、十八鳴浜(くぐなりはま)、島北部の亀山展望台から一望できる全島の景色は、「緑の真珠」と呼ばれ、その自然の織り成す美しさに魅了された人々が度々訪れる観光地としても有名です。カキなどの養殖も盛んで、主要産業の一つとなっています。

2011年3月11日の東日本大震災では、気仙沼湾内に位置する大島も被災しました。島の海岸部は軒並み津波の影響を受け、観光ポイント・施設、カキなどの養殖施設は、壊滅的な被害を受けました。全国的に知名度の高い「小田の浜海水浴場」も、水位の上昇によって、砂浜や松林が消滅。本土と大島の生活導線であったカーフェリーの運航が止まってしまい、一時人とモノの行き来ができなくなったことで、復興に向けての歩みが進められない状態となってしまいました。

「気仙沼大島まちづくりサポート」理事長の簗瀬(やなせ)二朗さんは、震災直後の大島を知る、数少ない“よそもの”の一人です。

中南米やアフリカなど国際協力の現場での仕事を終えて帰国した直後に東日本大震災が発生。簗瀬さんは、すぐに東北入りし、支援活動の中で大島に入ります。そして、支援物資の受け入れ、ボランティアの受け入れ調整などで飛び回る日々を経て、大島の魅力と、その一方にある復興に向けての長期的な課題と対峙することとなります。

「島民は皆さんいい人たちで、島に来た多くのボランティアや支援団体の人たちは大島を気に入り、何度も支援に訪れています。地元の若い人たちが無償で外からのボランティアの調整を買って出ていたので、その姿に感銘して大島を好きになった人も少なくありません。しかし、島内の対立により災害対策本部も解散し、地元の支援の受け皿が失われてしまいました。せっかく築いてきた支援の輪が断ち切られてしまうのはもったいない。この支援の輪を長期的なまちづくりへの支援に引き継ぎたいと思うようになりました」。もともと、日本で社会貢献のための起業をすることを視野に帰国した簗瀬さん。大島での起業は、自然な流れだったのかもしれません。

そして2012年夏、大島まちづくりサポートを設立。これまでの支援活動で培った島内外のネットワークを活かし、ボランティアの受け入れ、ボランティア活動のコーディネートのほか、地元の養殖業者、農家などの活動支援も行っています。東北域外からの企業単位でのボランティア派遣希望も多く寄せられる中で、行政、企業などとの調整経験の豊富な簗瀬さんのノウハウは、大島の復興に、着実にスピード感をつけることができています。

次回は、気仙沼大島まちづくりサポートのボランティア受け入れ活動の一コマをご紹介します。