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活動報告

被災地を支援する

2012/04/16

トレーラー/コンテナハウスの今【後編 Vol.3】

前回に引き続き、Civic Forceの「多目的・稼働型拠点提供事業」についてお伝えします。今回は、コンテナハウスの利用に関する現状をご報告します。

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子どもたちが集うパソコン教室

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2012年3月10日に宮城県気仙沼市みなと町にオープンした鹿折(ししおり)復興市場商店会「復幸マルシェ」。青や赤、黄など鮮やかな色が円となってデザインされたシンボルマークの看板が目印のこの商店会は、3棟20数店舗が入り、店舗面積の広さと多種多様な飲食店・商店が特徴です。復幸マルシェを立ち上げた塩田賢一会長は、震災後、街の復興のために全力で突き進んできた気仙沼市民の一人。「ここで生きていくと決めた人、いつかこの地へ戻ってきたいと思いながらも他地域へ移った人がいる。みんながまた集まり買い物ができ、一緒に暮らせるよう、街の機能が必要」。そんな思いで、近隣の元商店主たちに呼びかけてできたのが、復幸マルシェです。

Civic Forceが提供しているコンテナハウスは、今年3月まで復幸マルシェの準備事務所として利用されていましたが、4月からは子どもたちのパソコン教室として利用される予定です。小学校のPTAのメンバーであり、マルシェに構える飲食店の店長でもある塩田さんは地元ネットワークを生かして人々のニーズをくみ取り、さまざまなアイデアを持っています。

そんな塩田さんは「コンテナハウスは、パソコンを教えるだけでなく、子どもたちが集まる場所として有効に活用していきます」と語っています。

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(子どもたちが集まる場所として利用されるコンテナハウスと塩田さん)

 

島の産業復興の支えに

コンテナハウスは、気仙沼本土からフェリーで約20分の有人離島「大島」でも利用されています。長年、鮮魚の販売や仕出しを営んできた魚研(うおけん)の菊田健・玲子夫妻は、震災前、汽船発着所前に店舗をかまえ、水揚げされた旬の魚を取り扱っていました。しかし、津波の影響で店舗部分の1階が流され、しばらく事業再開の目途も立たず、「荒れた家のなかで呆然と日々を過ごしてしまう時期もあった」という玲子さん。

そうした中、散乱していた物資を一部コンテナに入れたことで、家や店舗の片付けが進められたと言います。「片付けがはかどったことで視界が開け、将来に向けてやるべきことも見えてきた」。事業も少しずつ軌道に乗せ、「たくさんの人に応援の言葉をもらい、東京・銀座の有名なお店からも注文をいただいています。もとどおりの事業規模に戻れるのか不安も大きいですが、やるしかない。活魚や貝類など少しでも良いものを提供できるようがんばりたい」と語ります。

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(「やると決めたことをやっていくしかない」という菊田夫妻)

 

また、大島には島の南部に位置するふれあい広場に、複数のコンテナハウスが並んでいます。このうち1台は広場前のグラウンドで練習に励む大島中学校の野球部・サッカー部の部室として活用されているほか、本や絵本を置く図書室として利用されています。また、大島は震災時、離島のため孤立し支援が遅れてしまったため、全国から独自に物資を募集し、支援を受け入れてきた現実があります。そのため、島の災害対策本部(当時)は、島内に物資を備えておく必要性を痛感し、コンテナは物資を保管する備蓄倉庫として利用されています。なお、一部は、気仙沼市内でニーズがあった大沢地区やCivic ForceのNPOパートナー「気仙沼ボランティアネットワーク聖敬会」に貸与準備中です。

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(子どもたちの図書室として利用される大島のコンテナハウス)