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活動報告

被災地を支援する

2013/05/16

「今、できることを」―奨学生からのメッセージ2

東日本大震災で被災した東北3県の学生を、奨学金制度とサポートプログラムで支援する「夢を応援プロジェクト」。2011年9月から、1人あたり月額3万円の奨学金を支給しています。奨学生に、2012年度を振り返って「最も印象に残ったこと」「学んだこと」「力を入れたこと」「来年チャレンジしたいこと」「今、伝えたいこと」などをテーマに課題作文を書いてもらいました。ここに、その一部を抜粋・編集して紹介します。(学年の記載は2013年4月時点、県名は出身県を記載しています)

「夢を応援プロジェクト」の詳細はこちら

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【この1年で最も印象に残っているできごと】

「大学へ進学できました」 ――大学1年生・女性・宮城県 

私は、震災を通して、人との出会いがこんなに勇気を与えてくれるのかと驚きました。特に、たくさんの著名人の方が被災地に足を運び、コンサートを開いてくださり、勇気をもらいました。また、瓦礫の受け入れなどたくさんの方が被災地の復興をサポートしてくださっていることをニュースで知り、支援を当然と思わずに自分にできることを一生懸命やりたいと思うようになりました。震災で大学進学の夢を諦めていましたが、ローソンさんの「夢を応援基金」のおかげで夢を実現しようと前向きになり、大学に進学することができました。この恩を忘れずにこれからも夢の実現に向けて頑張りたいと思います。そして、将来は被災地の復興と夢を実現するという目標を達成して、支えてくださった方々に恩返しができたら幸いです。

 

【この1年で最も力を入れたこと】

石巻に帰れる日を目指して ――高校2年生・女性・宮城県

高校に入学してからこの一年、最も力を入れたことは、資格の取得です。私が通う商業高校では、色々な資格にチャレンジできます。最初は、自分には無理だと思っていましたが、一つの資格に合格したら「やれば出来る」と自信が湧き、電卓検定一級、簿記検定三級、情報処理検定三級を取得しました。石巻市で被災し今は車で一時間以上離れた利府町という所に住んでいます。学校は石巻市内にあるため、通学はとても不便です。毎朝早起きして父の通勤の車に乗り、途中から電車に乗って降車駅からは徒歩20分もかかります。以前住んでいた場所はもう住んではいけない地域に指定されもう戻ることはできません。地震と自宅の2階まで到達した津波でとても怖い思いをしましたがやはり生まれ育った石巻に帰りたいです。それが実現するのはいつになるのか分かりませんが、いつか必ず戻れるものと信じて私は高校生活を無駄にすることなく過ごしたいと思っています。普段は恥ずかしくて言えないけど私は何より家族に感謝しています。常に目標を持ちこれからも前に進み頑張って行きたいと思います。

 

【来年チャレンジしたいこと】

周囲の励ましに支えられて ――高校3年生・女性・福島県

2012年に震災の影響で福島市に引っ越しをしたため、学校がある南相馬市までの約73キロを半年間車で通い、帰りもバスで1時間30分かけて帰りました。毎朝、早い時間に起きなければいけませんでしたが、私の母は私よりも早い時間に起きて、私のお弁当と朝食をつくり、毎朝運転して送り届けてくれました。疲労で辛い日々でしたが、心配してくれる先生や友達の励ましで、本当に救われました。私に「夢を応援基金」をすすめてくださった校長先生も、夢に向かってがんばれと激励の言葉をかけてくださいました。私にはなんの取り柄もありませんが、唯一誇れることは『人運』に恵まれていることです。辛いとき、悲しいとき、その節目節目に助けてくださった人たちへ、私には今なにができるかわかりませんが、大学進学を目標に頑張り、養護教諭になるという夢を叶えて、少しずつ恩返しをしていきたいです。
 

「看護師になるチャンスをつかみました」 ――専門学校1年生・男性・宮城県

高校卒業後、准看護学校へ入学することになりました。中学生から入学できる准看護学校ですが、社会人の応募も多く、定員40人のところに156人が応募したので、とても受からないと不安に感じていましたが、結果は合格。看護師になるチャンスを頂きました。
震災の日に多賀城(宮城県)にいた私は泥まみれの街を見て「自分も何かの役に立ちたい」「今目の前で困っている人を助けられるようになりたい」と強く思い、今日に至ります。この目標を達成するための立場と能力を得る機会を、このたび頂くことになったと感じています。私の来年の目標は何が何でも食らいつくことです。決してくじけずあきらめず、貪欲に学んでいこうと思います。

 

【今、私が伝えたいこと】

思い出がたくさん詰まった家 ――高校3年生・女性・宮城県

震災から2年という節目を前に、友人と「外国の方に向けた語りべ」を企画しました。私の住む南三陸町は壊滅的な被害を受け、町のほとんどはなくなってしまいましたが、「あそこの町には英語で話してくれる人がいる」と少しでも有名になれば、南三陸に人が来て町の活性化につながると思います。ボランティアの現状調査や、同世代への語りべも企画しています。きっかけは、テレビで見た「ガレキ受け入れ」のニュース。受け入れてくださる自治体や逆に受け入れてくださらない自治体の方がいます。もちろん放射能や汚染物質のことを考えれば受け入れたくない気持ちも分かりますが、ガレキは私たちにとって「思い出のたくさん詰まった家」だったのです。私たちの家は流されてなくなってしまったので諦めがつきますが、福島の人たちは家があるのに帰れません。「もし自分がそうなったら」ということを考えてほしい。それが今、伝えたいことです。

 

【この1年間で学んだこと】

心に響いたお礼の言葉 ―専門学校2年生・男性・福島県

私は今までボランティアに参加したことはありませんでしたが、東北復興のために何かやってみたいと初めてボランティアに参加し、多くのことを学びました。活動内容は、津波被害にあった農家の畑の土おこしやがれき撤去など。震災が起きるまで農業で生計を立て生活していたそうですが、前向きに農業再開に向けて頑張っている姿を見て、「辛いことがあっても下を向いてはいけない。諦めてはいけない」と教えられました。それから一生懸命活動し、一人の農家の方の畑のがれき撤去と土おこしを終えました。その時、農家の方から「寒い中本当にありがとう。頑張ってくれたからこんなに早く農業が再開できそうだ」と言われ、私はこれまで感じたことのない、不思議な気持ちになり、心に響きました。この経験を通して、私は人の役に立つことの素晴らしさ、本当に気持ちのこもったお礼や挨拶の大切さを学ぶことができました。これからもボランティア活動を続けたいと思います。

アメリカで学んだこと ――大学1年生・女性・福島県

昨年、国際交流でアメリカにホームステイするプログラムに参加し、世界観が大きく変わりました。それまで外国に興味はありませんでしたが、支援していただいた国への感謝の気持ちや自分が経験したことを伝えたいという一心で応募しました。アメリカでは、言語が通じなくても人と人は分かり合えることを学びました。また、世界には自分より恵まれない子供や苦しんでいる人がいることを知り、この経験を伝えていかなければと感じました。伝えるだけでは人を助けられないかもしれませんが、行動を起こせば何かのきっかけは生まれるし自分のためにもなります。勇気を持って自分のやりたいことを貫けばいつかは結果につながると思います。私がこの1年間で学んだことが将来、どのような結果をもたらすのかこれからも学び成長していきたいと思います。

 

【私の宝物】

恩師・村山先生の遺志を継いで ――大学2年生・男性・宮城県

高校生のとき、教師になりたいという夢を志したものの、突然起きた未曾有の大震災で、家屋も被害に遭い、経済的にも厳しくなったので大学は諦めかけていました。ただ、どうしても諦めきれなかった理由があります。それは、高校の時の恩師である村山先生の一言でした。村山先生は私が通う仙台商業高校に10年以上勤務していて、私が高校卒業と同時に定年退職を迎えるおじいちゃん先生でした。「お前は絶対先生になってこの高校の教壇に立ってくれ」と、授業の最後に呼び出されては何度も言われていました。しかし、入院していた村山先生がガンでこの世を去りました。自分たちと一緒に卒業する夢はかなわず、亡くなった日は奇しくも私の誕生日7月1日。何かの運命なのかと思い、今は先生の遺志を受け継ぎ教壇に立つことが、先生への最大の恩返しだと信じています。