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2011/05/08

5月7日(土)過去に学び、未来に備える

過去に学び、未来に備える

国土交通省と土木学会海岸工学委員会は、5/7に宮城県の津波に関する現地調査の報告書を発表しました。それによれば、気仙沼や南三陸町周辺では、気仙沼・本吉地区で最大21メートルの津波高を観測しました。唐桑半島先端で19メートル、南三陸町内では、13~15メートルの津波高を観測しています。また気仙沼市大島では、浦の浜と田中浜を結ぶ峠の最高点にある民家が床下まで浸水したことが確認されており、島の東と西から津波が島内で合流した、とされています。360度海に囲まれている離島では、「津波が右から左から押し寄せてきた」との証言が多く聞かれました。

 

その大島の山の中腹には、ある石碑が立っています。石碑に刻まれた文字には、「明治時代と昭和8年の震災・津波の経験から、ここから下に建物を建てることは危ない」との主旨が記されており、今回はその石碑から下の地域が壊滅的な被害を受けています。石碑は昭和初期に建立されたとみられています。sekihi.jpg

また海岸線には、潮害保安林が砂浜沿いに植わっています。この保安林は、各所で大きくなぎ倒されましたが、これによって大規模な浸水被害を回避できた「島を守った松」として島民は感謝しています。

 

「いつまでも被災者でいられない」

大島に対する支援策を詰めていく過程で、5/7はさまざまな関係者に再度ヒアリングしました。民宿を再開した女将さんは、「大島は海産物がおいしく、のどかでとてもいい島だった。外から来たボタンティアの人たちががんばっている姿を見ると、自分たちはいつまでも“被災者”ではいられない、前を向いて歩いていかないと、という気持ちになる」とのコメントがありました。民宿以外でも島内では店舗が営業を再開しています。大型カーフェリーの就航後、物流がある程度回復し、ライフラインも現在までに水85%、電気95%が復旧していることが背景にあるとみられます。5/7は水やバナナチップなどの栄養価の高い食料を備蓄用としてお届けしましたが、今後は大島の災害対策本部等と協議しながら、地元商店の営業状況を見極めながら、物資の品目や量を調整していきます。

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5/7は小田の浜のがれき撤去が大幅に進みました。これは自然発生的にできた地元ボランティアの団体「おばか隊」がされたことです。「ばかじゃなきゃ無償でこんな大変な仕事やってられない」とつけられた名前です。現在50人前後のかたが復旧・復興にむけて島内をかけまわっておられます。以前ヒアリングした際、隊員のお一人は、「とにかく、大島が好きだからやっている。本業の先行きも見えないし、自分は親族を亡くしたが、ボランティアをやっていると気晴らしになる」とのこと。笑顔で前向きに取り組んでおられる姿には、島の皆さんも大変励まされています。

大島中学校の若い女性教員にも話をききました。津波によって気仙沼市の家が流されてしまったそうですが、いまは他の場所にアパートをかりて、また毎日フェリーで通勤されているそうです。「子どもたちはとても明るくて元気。大島の人たちとがんばっていく。」と話されていました。