【インタビューVol.5】「里海とともにある暮らし」を取り戻すために ー一般社団法人 湊(みなと)杉野智行さん
輪島市にある宿「ゲストハウス 黒島」と杉野智行さん
2024年元日の地震で大きな被害を受けた能登では、6市町にある72港のうち68カ所で岸壁の損壊や地盤隆起などの被害が確認されました。中でも江戸時代の海運船「北前船」の船主集落で知られる石川県輪島市門前町黒島町では、最大4mもの隆起が確認され、歴史的な集落の景観が大きく変わってしまいました。サザエやアジなどがとれる黒島漁港は地震後、海底の岩肌がむき出しになり、地震から1年が経っても船を出すことができません。
「海に戻りたい」。そう願う地域の人々の思いを実現するべく、Civic ForceのNPOパートナー協働事業では、2025年1月から「一般社団法人湊(みなと)」の活動を応援しています。地震後に宿泊施設「ゲストハウス 黒島」を開業し、地域の長期的な復興を見据えた多様な取り組みにチャレンジする、代表の杉野智行さんに黒島町の現状や湊の活動、今後の展望などについて聞きました。
ーまずは黒島町の歴史や地震後の状況について教えてください。
海底隆起で干上がった黒島漁港。海底の岩礁と海砂が地上部に露出し、地上で乾燥して表面が白く石灰化 ©︎湊/撮影:半田洋久
黒島地区は、江戸から明治初期に北前船の日本海航路の寄港地として発展を遂げた歴史があり、今も船主・船乗りなどの邸宅が数多く残ります。黒い屋根瓦に板壁の伝統的な家屋が特徴的で、周辺の里山と一体となった能登地方を代表する歴史的町並みが形成され、2010年には重要伝統建造物保存地区に選定されました。
近年、奥能登の他集落と同じように過疎化や高齢化が進み、震災前の段階で黒島町の人口は約280人。高齢化率は70%超という状況でした。地震の影響で、集落内の建物約600棟のうち4割が全半壊し、国の重要文化財である「旧角海(かどみ)家住宅」も全壊しました。海岸は約4mにおよぶ海底隆起で港が干上がり、港湾機能を喪失。輪島港などの大きな漁港は復旧が進められた一方で、ここ黒島漁港は今も復旧の目処がたっていません。
漁師をはじめ地域の皆さんは「海に戻りたい」と切に願っていますが、現実は厳しい状況です。集落内の家屋が倒壊したままの現在、町の住民の半数以上が集落外の仮設住宅などで避難生活を余儀なくされていて、黒島町の歴史ある「里海とともにある暮らし」が今、危機にあります。
ー 2024年11月に設立した一般社団法人湊の取り組みについて教えてください。
©︎湊
一般社団法人湊は、能登半島地震の後に立ち上げた「黒島復興応援隊」のメンバーが中心になって設立した組織です。黒島復興応援隊は地震で大きな被害を受けた黒島町で被災建物の片付けや災害ゴミの搬出などの活動を続けてきましたが、被災者が仮設住宅へ入居し、緊急度の高い活動の目処が立ったことから、活動を終了。復旧のその先を見据えた取り組みとして、2024年5月に株式会社湊を、11月には一般社団法人湊を設立しました。
株式会社湊では2024年8月、海が見える宿「ゲストハウス 黒島」をオープンしました。子どもたちや観光客向けのサップ体験会といったマリンアクティビティ、地元の方々を招いての懇親会やゲスト同士のご飯会の開催などを通して、能登の魅力を発信し、地域ににぎわいを取り戻す拠点づくりを目指しています。
また、一般社団法人湊では、結果が出るまでに時間がかかる海の調査や磯焼けの原因となっているウニの駆除・資源化、船を出すための基盤となる設備の整備など、より公益性の高い取り組みに力を入れていく計画です。収益につながらなくても、地域にとって大切な、やるべきことがたくさんあります。黒島復興応援隊として培った住民の皆さんとの関係性を基盤に、集落にとって重要なアイデンティティである「里海」に焦点を当て、「黒島らしい復興」の一助になれたらと願っています。
ー Civic ForceのNPOパートナー協働事業では、杉野さんが取り組む多様な活動のうち、一般社団法人湊の取り組みをサポートさせていただく予定です。計画や現状を教えてください。
©︎湊/撮影:半田洋久
長年、海とともに暮らしてきた地域の漁師さんたちは、少しでも早く海業を再開したいと考えていますが、海底隆起の影響で港に船をつけられず、現在は船小屋に20艇ほどの船を保管している状況です。震災以前は、船小屋の前に船を並べ、40〜50m先の海岸線(漁港内)までウィンチを使用して船を上げ下ろししていましたが、海底隆起によって海岸線が沖合へ200〜300m離れてしまいました。高齢化が進む漁協組合員が人力で毎日船を運搬するのは困難です。
そこで、漁業協同組合や自治体と連携しながら、応急的に桟橋を設置して小型船舶運搬用トレーラーを導入するなどして、船を海岸線まで運べるよう整備する計画です。
©︎湊/撮影:半田洋久
「10人集まれば運べる」という漁師さんの一言がきっかけで、昨年11月には、「水面に舟」という小さなイベントを開催しました。人力で舟を200m運び、海に浮かべるというだけのシンプルな催しでしたが、元日以降一度も船出ができていなかった黒島の海に舟が浮かぶ情景を見て、集まった全員が笑顔になりました。
「もうあきらめるしかない」と悲しい顔をしていた漁師さんが再び海に出る道を模索し始めています。漁業環境を整備することで、発災以来失われている「里海とともにある暮らし」を黒島町に取り戻したいと思っています。
また、海の恵みを生かした新たな商品の開発も目指しています。奥能登では以前からサザエやアワビなどが生息する藻場をウニが食い荒らす問題がありましたが、駆除対象となっているウニを捕獲して製品化につなげることで、サザエやアワビ、海藻に次ぐ地域資源になればと考えています。まだ調査段階ですが、黒島町の漁業協同組合員や地元の皆さん、ウニを食用化する技術を持つ企業などと連携を進めています。
2025年は、まだ立ち上がったばかりの一般社団法人湊の基盤整備にも取り組みます。黒島町内の古民家をリノベーションし、湊の社屋、コワーキングスペース、プロジェクト検討ベース、資材保管庫などを整備しています。拠点整備にあたっては地震後から連携する学生など地域内外の人たちとともにDIYで整備。「里海」に関するなりわいの拠点を住民自らが整備することで、主体的に復旧・復興を進める気運になればと願っています。
ー杉野さんにとって黒島はどんな場所でしょうか?
私は金沢郊外で生まれ育ちましたが、子どもの頃は毎週のように能登へ遊びに行っていました。父と祖父と私の親子三世代で海へ行って、釣りをして、釣った魚を食べる。能登の海や里山で遊ぶ日々が本当に大好きでした。
大学卒業後、石川県庁の職員として金沢で働いていましたが、「いつか能登へ住みたい」と思い続け、2021年に黒島へ移住しました。「海や山の幸を振る舞うゲストハウスオーナー」を目指して、船舶免許や狩猟免許、第2種電気工事士といった資格も取得。県庁の職員を続けつつ、ゲストハウス開業に向けて準備を進めてきました。
しかし、元日の地震で建物が損壊。開業まであと一歩のところで夢が打ち砕かれたような気持ちでしたが、そのとき思い出したのが東日本大震災のこと。支援に入った宮城県の沿岸部は津波が押し寄せ絶望的な状況でしたが、地域内外の人々の尽力で町が復旧・復興へと進んでいきました。
「黒島地区の暮らしが戻ればゲストハウスはもっと必要とされるはず」。そう思って、まずは動ける人間が動こうと、仕事の合間を縫って、壊れた屋根や窓をシートでふさいだり、破損したガレージから車を搬出したり、避難所から自宅に戻れない人たちの要望に応えることから始めました。
そして、ゲストハウスは、新たに古民家を購入してクラウドファンディングなどで資金を集めて改修を進めました。
ー団体名の「みなと」は、「港」ではなく「湊」。団体名に込めた思いを教えてください。
海風を感じる黒島らしさを目指して、「みなと」と名付けましたが、「湊」という漢字は単に舟が発着する船着場という意味だけでなく、「人やモノが集まる場所」という意味があります。
震災前の構想では、「ゲストハウス 黒島」は、豊かな海と山の幸を味わう・楽しむような少し趣味性の高いものでしたが、地震の影響でもっと深く黒島の将来と向き合う必要性に迫られました。「人が集う」にこだわったのは、単に泊まるためだけの施設ではなく、さまざまな人々と触れ合うゲストハウスを通じて、営々と受け継がれてきた黒島の暮らしを次代へつなぐために貢献したいからです。
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Civic Forceは、独自の復興支援プログラム「NPOパートナー協働事業」を通じて被災地の復旧・復興をサポートしています。能登半島地震・豪雨の被災地におけるこれまでの活動についてはこちら。
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