【#わたしの 3.11 受賞インタビューVol.8】「忘れぬ思いと教訓、備えに変えて」
東日本大震災発生から15年となる今年3月、Civic Forceは公募企画「#わたしの3.11 〜15文字のメッセージ」を実施しました。世代や地域を超えて、たくさんの方からメッセージをお寄せいただき、一般部門とユース部門合わせて1,069作品が集まりました。このたび、一般部門の「入賞」を受賞した甘栗さん(ニックネーム)にお話を聞きました。

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───受賞おめでとうございます。まずは「#わたしの3.11」に応募したきっかけや理由を教えてください。
「15文字で伝えるメッセージ」という言葉にひかれました。俳句や川柳よりも、自由に考えていいのかなと思って。「15文字」におさめるのは少し大変でしたが、パズルみたいな感覚で、「15文字」を考えるのはおもしろかったです。
───2011年3月11日に東日本大震災が発生したときのことを覚えていますか。
2011年3月11日は宮城県仙台市の病院で働いていました。津波の被害はない地域でしたが、津波で被災した病院の患者さんが搬送され、その対応に追われていました。
病院は自家発電の設備が整っていたので、わりとすぐにライフラインが復旧しましたが、ご飯が届かず、ひどいときには糖尿病の患者さんにも菓子パンを出さないといけないような状況も。当時はバスや地下鉄などの公共交通機関がストップしてガソリンも入れられない状況で、通勤ができない人もいました。
私は勤め先の病院の近くに住んでいて、自宅と職場を歩いて行き来することができましたが、住んでいたマンションの水道管が破損して1カ月ほど断水が続き、水がない生活はとても大変でした。
───今回、お寄せいただいた15文字のメッセージ「忘れぬ思いと教訓、備えに変えて」にはどんな思いが込められていますか?
被災した当時は日常生活が破綻して本当に大変でした。いろんな感情があって「ぜったいに忘れない」と思っていました。でも時間が経って、自分の中でも当時の記憶が薄れていくのを感じます。
「もっと買いだめしておけばよかった」「水のストックが足りなかった」「現金をもっと多く持ち歩くべきだった」「ガソリンは半分きったら入れるようにしよう」「ティッシュはもっとストックしておこう」....など、あのとき感じていた“備え”の大切さを、もう一度思い出して、「15文字のメッセージ」に込めました。
仙台市内の中心部では、震災発生からしばらく「日常」がなくなりました。コンビニでもモノを買えず、3月後半頃にはアーケードでおにぎりや野菜などを売る露天販売が始まりました。でも、カードでは払えず、現金を持っている必要があり、不便さを感じました。スーパーでモノを買えるようになってからも、「2点まで」と限りがあったりして、お菓子などの贅沢品は買えない・買わないような状況でした。
そのときの悲しい記憶が強くあって、あのとき買えなかったお菓子や日持ちする食べ物、電池やウェットティッシュなどをたくさん買いだめしています。今、断捨離が流行っていて、ミニマリストといった言葉も聞きますが、私はたくさんストックしています。
───実際に被災されたからこそ、必要な備えが見えてきて、より具体的に考えられる側面があると思います。他にも何か備えていることはありますか?
津波や地震でなくなった方に対する思いや悲しい記憶もありますが、日常生活が破綻して大変だったという思いが強くあります。
当時、本当に大変だった人のことを思うと、声を上げづらい状況がありました。生きるか死ぬかという経験をされた方に比べたら、「命があるならぜいたくをいうな」という雰囲気もあったかもしれません。
ただ、地震で家中のものが倒れたり壊れたりして、テレビや電子レンジ、冷蔵庫などの家電を買い直さなくてはならない状況はやはり大変でした。家財保険に入っていたかどうかで明暗が分かれた、というような話も聞きました。今は多くの人が家財保険に入っているかもしれませんが、当時はみんな出費が増えて、ひもじい思いをしたと思います。
私はその後、結婚・出産を経て、現在は二人の子どもがいますが、日中はみんなバラバラの場所で過ごしています。いざというとき、どこで待ち合わせるか、もう一度話し合っておきたいと思います。避難所の場所や電話番号などもしっかり頭に入れておくようにしなければと改めて思います。
子どもの保育園では月1回、避難訓練がありますが、この4月からは小学校にあがるため、一人で歩いて学校へ行きます。子どもにはまだ東日本大震災の話をしたことがありませんが、一緒に通学路を歩きながら、そろそろ話してみようかと思っています。

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