「富岡の今を伝えたい」 小・中学生のかたりべユーチューバーが発信!
「震災の経験を後世に伝え、次の大規模災害で一人でも多くの人を救いたい」。
そんな思いから、Civic Force(シビックフォース)の東日本大震災「NPOパートナー協働事業」では、「記憶の伝承」をテーマに、各地で活動する団体の取り組みをサポートしています。
福島県で活動するNPO法人富岡町3・11を語る会では、原発事故の影響や富岡町の現在について伝えていく「語り人(かたりべ)」の育成に力を入れています。大人向けのかたりべ教室に加え、今年6月からは小中学生対象の動画制作の教室「かたりべ ユーチューバー」を開催しています。このたび、富岡町在住の小中学生が作成した映像が公開されました。子どもたちと一緒に動画の製作に携わった富岡町3・11を語る会の松本愛梨さんにお話を聞きました。
小中学生向けの動画製作の企画が始まったのは、2022年6月。講座は全6回。初回に富岡町の漁港や桜並木、休校中の高校、原発が見える丘などをめぐり、2回目以降、撮影や絵コンテの製作、編集などを実施しました。動画の完成までには、アナウンサーやカメラマン、編集者など映像製作のプロにアドバイスをもらいながら、地域内外のさまざまな人たちと交流する機会があります。「これまで大人向けのかたりべ教室を開催してきましたが、被災の過去を振り返って語るだけでなく、もっと多様な視点で富岡町のことを伝えていきたいと思っていました。YouTubeは子どもたちにとって一番身近なメディアで、撮影や編集も難なくこなしていました」と松本さんは振り返ります。
参加者の一人で、今年4月から富岡町で暮らす小学5年生のコゲモチくん(通称)は、富岡町の葡萄園を題材に取り上げました。「最初に富岡町を案内してもらったときに葡萄園を見て気になったから動画で紹介することにしました。動画の編集では、写真の長さの調整が難しかったけどちゃんと作れて良かったです。効果音やBGMをつけるのが楽しかったです」と振り返ります。
コゲモチくんが撮影した葡萄園とは、震災後の2016年、ワイン造りを目指す町民有志によって設立された一般社団法人とみおかワインドメーヌが運営する園で、原発避難で一時誰もいなくなった町ににぎわいを取り戻すための挑戦を続けています。
また、もう一人の参加者、富岡の中学校に通う中学生は「図書館」を撮影場所に選択。部活動の合間をぬって参加し、絵コンテや原稿を用意したり、字幕をつけたり、動画づくりにあたっては編集作業に最も多くの時間を費やしました。
2011年3月11日の東日本大震災。東京電力福島第一原子力発電所の事故により、原発周辺の12市町村に避難指示が出され、このうち南相馬市、双葉町、大熊町、浪江町、富岡町、葛尾村、飯舘村の7市町村では、放射線量が高い地域の立ち入りが厳しく制限される「帰還困難区域」が設定されました。
南相馬市を除く6町村には、除染とインフラ整備を行う「特定復興再生拠点区域」が設けられ、このうち葛尾村、大熊町、双葉町では、立ち入り規制の緩和や準備宿泊を経たうえで、2022年6月以降、順次、避難指示が解除され、帰還困難区域だった地域への住民帰還が始まっています。また、富岡町と浪江町、飯舘村は、来年春に特定復興再生拠点区域の避難指示解除を予定しています。
富岡町の震災前の人口は15,850人でしたが、全町が放射能の汚染地域となり、一時全町民が避難を余儀なくされ、現在の居住人口は震災前の人口のおよそ10%未満の約1,300人にとどまっています。
富岡町3・11を語る会の活動は、富岡町民の避難先の一つである福島県郡山市で始まりました。2012年4月、郡山市内の仮設住宅に設置された避難者の生活支援拠点「おだがいさまセンター」のアドバイザーを務めていた青木淑子さん(現富岡町3・11を語る会代表)のもとに、国内外から「被災体験を聞きたい」という声が寄せられ、2013年には年間1万人以上が足を運ぶように。団体として独立し、2016年にはNPO法人格を取得しました。
体験談を語るのは公募で選ばれた町民。「経験者が話すべきだと思ったし、語ることで被災者も救われると思ったから」と青木さんは言います。責任の所在が未だ不明確な原発事故という災害を前に、人生を大きく狂わされた人々が辛い体験を語ることで、共感し励まし合って「生きる力を得てほしい」という思いもあります。
「語り人」と書いて「かたりべ」。「語り部は昔話を伝える人のことを言いますが、私たちは未来のことも話します」というのが、富岡町3・11を語る会の考え方です。語る会のメンバーは総勢26人で現在、活動しているのは15人ほど。高齢者が多く、子どもや若い人に向けた講座も続けています。
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