原発事故の教訓を手話で伝える「かたりべ育成講座」
2011年の東日本大震災と福島第一原発事故の教訓を手話で伝える「語り人(かたりべ)育成講座」が、6月30日、福島県でスタートしました。主催はCivic ForceのNPOパートナー協働事業で連携するNPO法人「富岡町3・11を語る会」。県聴覚障害者協会と連携し、聴覚に障害のある人や手話通訳者ら計25人が参加しました。富岡町3.11を語る会の青木淑子さんに、手話での育成講座を始めたきっかけや講座の内容、福島の“今”について聞きました。
Q.手話での「語り人(かたりべ)育成講座」を始めた背景やきっかけを教えてください。
青木:2011年3月11日の東日本大震災と原子力災害によって全町避難を余儀なくされた双葉郡富岡町の状況を伝えるため、「語り人(かたりべ)」の活動を続けています。今も続く長期にわたる避難生活の実態、復興に向かう人々の心情、町の課題などを伝えるとともに、風化を防ぐために世代を超えて語り人(かたりべ)を育てる取り組みにも力を入れてきました。
震災後、福島県内各地に多くの伝承施設が設立されましたが、建物だけでは伝えられないことがあります。語り継いでいくのはやはり「人」です。だからこそ、私たちはあえて、かたりべを「語る人」と書いて、語る人の表現力をみがく演劇キャンプや表現塾なども開催してきました。
手話での語り人(かたりべ)育成講座を始めたのは、これまで掲げてきた「誰ひとり取り残さない防災」を実現するためです。3.11の後、私も含めて多くの人がそれぞれのスタイルでかたりべの活動を続けてきましたが、現時点で県内に手話を使って活動している人はいません。震災の教訓を学ぶ「ホープツーリズム」などで全国から聴覚の不自由な人が原発事故の被災地やアーカイブ施設を訪れても、映像やリーフレットなどの文字だけでは十分な情報を得にくいという課題がありました。
双葉町に建設された原子力災害伝承館でも、最近ようやく冒頭の西田敏行さんの音声案内に字幕がついたばかり。県聴覚障害者協会には「手話ができるかたりべがいてほしい」との声が寄せられていて、今回の募集にあたっては早い段階から協会と協力しました。
Q.6月30日のかたりべ育成講座の内容と反響は?
定員を超える応募があり、聴覚に障害のある人と手話通訳者ら合わせて25人が参加してくれました。30日は「語り人(かたりべ)とは何か」という説明にはじまり、聞き手の興味・関心をひきながら伝える表現の大切さなどについてお話しし、最後に参加者それぞれが「私の3.11」をテーマに個々の体験を語る機会を設けました。
「これまで原発事故について深く知る機会がなかった。福島県民として恥ずかしい」「もう一度学び直して手話で伝えられるようになりたい」「地震や原発の怖さを子どもたちに伝えたい」といった声がありました。原発事故で避難を余儀なくされた沿岸部の街から離れて暮らす人の中には、同じ県民でも原発事故のことをよく知らずに13年を過ごしてきた人もいます。
受講者の皆さんが手話で語る姿を見て、手話表現の大きな可能性を感じました。耳から聞こえる情報がなくても体の動きで伝わる手話は、臨場感たっぷり。この魅力的な表現を生かしていくことができれば、素晴らしい伝承活動につながると確信できました。
Q.講座は秋まで実施される計画です。今後の予定は?
講座は6月30日に郡山市で実施したのを皮切りに、10月までに福島市や富岡町などで全4回開催する予定で、11月には富岡町の「伝承祭」で発表します。
受講者は今後、東日本大震災・原子力災害伝承館(双葉町)や、とみおかアーカイブ・ミュージアム(富岡町)、震災遺構・請戸小(浪江町)など浜通りの施設や被災地を視察するとともに、私が会長を務める「東日本大震災・原子力災害ふくしま語り部ネットワーク会議」のメンバーなどから専門的な指導を受けます。そして、震災と原発事故に関する基本的知識や被災者の思いを学び、しっかりと”伝わる”表現手法などを習得します。
講座終了後、手話の語り人(かたりべ)は県聴覚障害者協会に所属し、要請を受けて各地に派遣する仕組みを目指しています。2025年には福島県双葉郡にあるJヴィレッジでデフリンピック(ろう者のためのオリンピック)が開催される予定ですが、受講者の中には国際手話ができる人もいて、広く世界に発信する機会にもつなげていきたいです。
Q.東日本大震災から13年以上が経ちます。福島の原発事故は日本全体の課題ですが、それを伝えていくために大切なことはなんでしょうか。
原発事故はまだ終わっていません。デブリが取り除かれて、海洋放出の課題が解決され、放射能の課題が終わるまでにはまだまだ長い年月がかかります。事故で失われたものは、家でもなければ命でもなく、「人生の崩壊」です。住み慣れた場所に住めなくなり仕事がなくなり、家族がバラバラになって生業を失った人が「災害関連死」として亡くなりました。
孤立や悔しい気持ちは原発事故の避難者だけにある感情ではなく、日本中の誰もが感じるものです。あのような事故を2度と繰り返さないために、誰もが原発事故の当事者だと思います。例えば、自動車を電力で動かすようになると、これからますます電気が必要ですが、エネルギー問題はとても難しく、私も「自然エネルギーを増やせばいい」と簡単にいうことはできません。「どうすればいいか」と聞かれますが、私も正しい明確な答えを持っているわけではないのです。
でも語る人を増やすことで、一緒に考えて、日本のエネルギーの未来について良い答えを出していけると思うのです。私たちが目指すのは、擦り切れたレコードのように過去を振り返るのでなく、今も原発事故の課題と向き合い続ける地域の“今”を伝え、日本のエネルギーや社会のあり方を皆さんと一緒に考えること。被災地に関心を寄せる誰もが震災と原発事故の教訓を学び、今後起こりうる災害に備えるための知識を身に付けられる場が必要です。
また、福島の復興の原動力は、複合災害によって奪われた「人のつながり」を取り戻し、新たなコミュニティを再生することに他なりません。地域を越え、世代を越えて、誰もがつながるきっかけをつくっていきたいです。
青木さんプロフィール
東京都出身、福島県富岡町在住
1970〜2008年、福島県内の県立高校で国語科教員として教鞭をとる。東日本大震災後、富岡高校校長時代から深く関わった富岡町を中心に被災者支援を行い、2015年に富岡町3・11を語る会を設立、語り人(べ)活動や町民劇に取り組む。
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