【連載】Vol.8 被災後の職場におけるメンタルケア 中編
連載「災害に備える」では、前回に続き「被災後の職場におけるメンタルケア」の中編をお届けします。能登半島地震の被災地で働きながら尽力する被災者の皆さんへ、2011年の東日本大震災で被災したCivic Forceの小野寺幸恵から、今こそ必要な“心のケア”の大切さについてお伝えします。前編はこちら。
被災後、感情をコントロールできず、悲観的になったり攻撃的になったり、仲の良かった友人ともうまくいかず、絶望感に打ちのめされることが増えました。心身の限界を感じ、市内の心療内科を受診しました。当時の私にとって、心療内科の受診はとてもハードルが高く、受診を決めるまでに長い時間がかかりました。通院の結果、PTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断されました。
言われるがままに数種類の薬を飲み始めました。しかし、薬の副作用による強烈な吐き気に悩まされ、ただでさえ減っていた食欲がさらに減退するなど体調が悪化してしまいました。「徐々に体が慣れてくるから」と説明を受けてはいましたが、なかなか吐き気はおさまらず、結局、服薬と通院はやめてしまいました。
体調が回復しないまま苦しい時間が過ぎ、震災から2年後、私はそれまで続けてきた福祉の仕事を辞めて、新しい仕事に就きました。それが現在の災害支援の仕事です。東北で被災しながらも復興に向けて奮闘する方々に力をもらいながら、私の心も少しずつ前に進み始めました。
しかし、「生かされた理由を見つけなければ」「生きる価値のある人間にならなければ」という焦りは、相変わらず心の中でくすぶったまま。出口の見えない迷路に迷い込んだような状況が続いていました。
そんな私にターニングポイントが訪れました。2016年に起きた熊本地震です。被災地へ入り、Civic Forceが運営する避難所(テント村)の手伝いをしていた時、被災した年配の女性が「これからどうすればいいかわからない...」と苦しい胸の内を話してくれました。その時、私は東日本大震災で被災したことを伝え、「あの時たくさんの人に励まされ、今度は私の番だと思ってここに来ました。必ず乗り越えられます」と話しました。すると、その方は涙を流しながら、私に「抱きしめてもいいか」と尋ねました。私がうなずくと、そっと抱きしめてくれました。
私が前に進むことができたもう一つの大きなきっかけは、あるカウンセラーの先生との出会いでした。Civic Forceの福利厚生の一環で2013年に一度話を聞いてもらったことがあり、「この人は私に寄り添ってくれている」と感じました。2018年に2度目のカウンセリングの機会があり、このとき、私がずっと探してきた答えを見つけることができました。
2回目のカウンセリングでは、安心して自分の心の内を全てさらけ出すことができました。先生との波長が合い「信頼できる」という確信が持てたからかもしれません。先生は私の話に真剣に耳を傾けてくださり、自分の経験と重ね合わせて涙する場面もありました。その姿に「この人は真摯に私と向き合ってくれている」「理解しようとしてくれている」と感じ、さらに信頼感が増しました。
話の中で先生は「あなたは前の職場でも人に手を差し伸べる仕事をしてきましたね。そして今も、誰かに手を差し伸べる仕事をしている。あなたが探していた生きる意味の答えは、そこにあるのでは?」とヒントをくれました。その言葉を聞いて、急に心が軽くなりました。何のために生きるのか、どうして生かされたのか、その答えは、すぐ目の前にあったのです。それまで背負っていた重い何かがすっと消えたような感覚を覚えました。この出会いがなければ、私は未だ出口の見えない迷路でさまよい続けていたかもしれません。やっと答えが見つかった…それは、震災から7年後の、2018年のことでした。
次回、後編では職場のメンタルケアを考える上で大切な休む大切さや周囲の配慮・声がけの注意点などについてお伝えします。
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