【3.11から15年】灯りを囲み、語り継ぐ「100万人の線香花火ナイト」
Q.「100万人の線香花火ナイト」について改めて教えてください。
A.「100万人の線香花火ナイト」は、東日本大震災で亡くなられた方への追悼と記憶の伝承を目的に、2011年に始まったプロジェクトです。毎年3月11日と、7月7日の七夕、8月のお盆の夜に、全国の参加者がそれぞれの場所で一斉に線香花火を灯します。離れていても同じ想いを共有し、大切な人や思い出に寄り添う時間を持つことを目指しています。

Q.「あなたのいる場所が会場です」とうたい、特定の会場を設けているわけではない点が特徴ですが、誰が、どんなふうに参加できるのでしょうか?
A.家族や親戚など身近の人と静かに線香花火を灯す人が多いですが、「家以外の場所で他の誰かと一緒に灯したい」という方のために、有志の団体が会場を設けている場所もあります。例えば、岩手県では盛岡市内のカフェや一関の涌津まちづくり協議会、宮城県でも亘理町の地域の皆さん、仙台や閖上のNPO団体などが、亡くなった方へ想いを馳せる場を提供しています。
線香花火ナイトはSNSを通じて広がり、私も各地の実施状況をすべて把握できているわけではありませんが、皆さんそれぞれに様々な思いで参加しています。ある印象的な言葉があります。津波の被害を受けた釜石市の鵜住居地区では犠牲者を追悼する複合施設が設置されましたが、「あそこに行く勇気はまだないけれど、線香花火ならできるかな」と参加されている人がいたのです。
線香花火ナイトは、打ち上げ花火のような派手さはないけれど、小さな光を見つめながら、大切な人を思い出したり親子がゆっくり語り合ったり、そんな時間をつくるツールになっているのかもしれません。
Q.東北以外でもたくさんの人が「線香花火ナイト」に参加しています。みなさん、どんな思いで参加しているのでしょうか?
A.東京・品川にある蛇窪神社では毎年7月の夏詣期間に実施していますが、境内の外にまで行列ができるほどたくさん人が集まるそうです。神奈川県葉山町の森戸海岸や大阪府の泉大津市のカフェなどでも多くの人が一緒に線香花火を灯し、東北や被災地に想いを馳せる時間を過ごしていると聞きます。
また、南海トラフ地震の被害が想定される四国の香川では、東北でボランティアをしていた人が中心になって、「地域の防災意識を高めたい」と開催しています。2018年7月の西日本豪雨で大きな被害を受けた愛媛県宇和島市でも「100万人の線香花火ナイト in 宇和島実行委員会」が中心となって毎年、実施しています。
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Q.年に1度の大切な時間として、「線香花火ナイト」を楽しみにしている人も少なくないと思いますが、なぜこの活動を始めたのでしょうか?
A.2011年の東日本大震災の後、私は関西から岩手県に入り、大船渡市を拠点に被災地へ燃料を運ぶ仕事を続けていました。阪神淡路大震災で被災した経験があり、何かできることはないかという思いでした。地域の人とのつながりができていくなかで、被災して大変な状況に置かれている子どもたちが少しでも笑顔になれる時間をつくりたくて、手持ち花火を届けようと考えました。
2011年7月の七夕で地域の子どもたちと小さく花火を楽しむつもりでしたが、いざ始めてみると被災地内外からたくさんの反響があり、全国の人をオンラインでつないで一斉に線香花火を灯すことになりました。震災でお兄さんを亡くした高校生(当時)が、「空から眺めたら天の川みたいに見えるかな。お兄ちゃん、見てくれるかな」とつぶやいていたことが、大きなきっかけです。
翌8月、震災から半年後の月命日の日に、お盆行事の一つとして、全国の人と一緒に線香花火を灯す「希望の光プロジェクト」を開催し、たくさんの子どもたちへ花火を届けることができました。
Q.震災から15年が経ちます。被災した地域の現状について、どのようにとらえていますか?
A.震災から1年後の2012年3月11日に線香花火ナイトを実施する際には、反対意見もありました。花火は“遊び”であって、1年の節目にイベントをするなんて…という声があったのです。でも「やってほしい」という声や、たくさんの支援に押されて開催。すると、SNSで広く拡散され、開催するたびに参加者が増えていきました。今や数を追えないほど広がり、「今年もやってね」「来年はやるの?」という質問も減ってきて、むしろ定着してきたように思います。
他方、「忘れられてしまう」という危機感は常に感じています。東日本大震災が起きた2011年は、阪神・淡路大震災から16年が経った頃で、神戸では街の復興が進むと同時に、風化が懸念されていました。追悼行事に行くのは遺族だけ。震災で何が起きたのか、語れる人が減り、防災・減災の備えや命の大切さを伝えていくことの難しさを感じていました。
だからこそ、東北の被災地では、早い段階から「伝える」ことを意識していました。被災した地域に石碑を建てただけでは伝承が難しいように、人の“想い”を一緒に発信していくことが大切だと思います。東北の被災地では、発災直後、「つらい」「忘れたい」という声が多く聞かれましたが、最近は次世代に伝えていこうという機運が高まってきているように感じます。

Q.魚山さんはこの間、東北に移住され、お仕事の傍ら、線香花火ナイトの活動を続けてきました。今後の目標を教えてください。
A.様々な人との縁が生まれる中で、いつの間にか東北にいる期間が長くなり、今は宮城県気仙沼市の森の中でコテージ「星逢える宿」を運営しています。カラフルなコテージは、岩手県陸前高田市のボランティアが泊まるために建てられたものでしたが、かさあげ工事のために気仙沼へ移設され、今に至ります。「星逢える宿」いう名称には、震災で亡くなられた人を忘れない、という想いを込めました。
甚大な被害を前に、線香花火の光はあまりにも小さく、人の心を癒すことなどはできないかもしれません。でも、線香花火を通じて、親から子へ語り継ぎ、世代を超えて人と人がつながることはできます。伝えていくことが、いつか誰かの命を守るかもしれない。そう信じて、これからもこの活動を続けていきます。
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