災害支援のプロフェッショナル Civic Force(シビックフォース)

HOME ニュース 被災地を支援する 【夢を応援プロジェクト】「どんな状況でも良い方向に変えていく努力を」―奨学生からのメッセージ1

ニュース

被災地を支援する

2014/05/26

【夢を応援プロジェクト】「どんな状況でも良い方向に変えていく努力を」―奨学生からのメッセージ1

resizeDSC06339.jpg東日本大震災で被災した岩手・宮城・福島3県の学生を、奨学金とサポートプログラムで支援する「夢を応援プロジェク」。奨学生に、2013年度を振り返って「最も印象に残ったこと」「学んだこと」「力を入れたこと」などをテーマに課題作文を書いてもらいました。

ここに、その一部をご紹介します。今回のテーマは「今、私が伝えたいこと」。作文からは、つらい経験を乗り越え、なんとか明日へ向かおうとする奨学生たちの姿を垣間見ることができます。

(学年の記載は2014年3月時点)

 

=====================

「どんな状況でも良い方向に変えていく努力を」―― 専修学校2年/宮城県出身・在住/女性

高校一年生の時に被災し、家族で仙台へ引っ越しました。16年間育った町や友人と離れるのはとてもつらく、転校したばかりのころは学校から戻ると「地元に帰りたい」と泣いていました。そんな私を見て父は「どんな状況の下でも楽しいことを見つけなさい」と言いました。この言葉で私は考え方を変え、それからはクラスメイトに積極的に話しかけたり、遅れがちだった勉強を各教科の先生にマンツーマンで教えてもらえるようお願いしたりしました。また、アルバイトでは店長やお客さんに怒られながらも楽しみを見つけ頑張っています。こうした経験から、私は「どんな状況でも臆することなく良い方向に変えていけるよう努力する」ことを学びました。たくさんのものを奪った津波が憎くて仕方ありませんでしたが、支えてくれる家族や地元の友人の大切さは津波がこなかったら気付けなかったかもしれません。これからは、この経験を次世代にも伝えていけるよう発信していきたいです。

 

「地元の復興にかかわりたい」―大学1年生/岩手県出身・長野県在住/男性

 東日本大震災から3年が経ち、あの日中学生だった私は高校を卒業し大学生になります。この震災によって、私は仮設住宅での暮らしを余儀なくされ、たくさんのものを失い、普通に生活できる幸せを強く感じました。当たり前が当たり前でないと知りました。この教訓はこれから大学生として一人暮らしをする上でも忘れないでいたいと思います。地元の岩手県釜石市は、漁業関係の整備が進み、大型ショッピングセンターのイオンもオープンし、一見復興が進んでいるように見えますが、まだまだたくさんの課題を抱えています。被災した土地で家の建設を検討している私の祖母は土地の整備が遅れているため、未だみなし仮設で生活しています。日本は、東京オリンピックが決まり盛り上がっていますが、それだけではなく、もっと復興にも力を入れてほしいです。大学での4年間を充実させ、震災の記憶を風化させないよう意識し、将来は地元の復興に貢献したいと考えています。

 

伝えたいのは「感謝の気持ち」―大学2年生/福島県出身・東京都在住/女性

私は震災翌日、原発事故の影響で、福島県南相馬市の高校からそのまま避難しました。避難先は郡山市の親戚の家。4人暮らしの家に他の避難者を含めて20人ほどが集まりました。プライベートな空間もなく、ガソリンや食料も手に入らないなか、私と家族を受け入れご飯を作ってくれた親戚には、今でも感謝しています。また、避難先では慣れないことばかりで精神的に辛い時期がありましたが、転校先の新しい友人や先生に支えていただき、苦しい時期を乗り越えることができました。古くからの友人や前の学校の先生も心配して連絡をくれたり、避難先まで会いにきてくれました。震災を通して出会ったボランティアの方々、被災者のために様々な支援をしてくださった方々にもとても感謝しています。震災を通じて、人間の悪い部分が見えましたが、同時に人の良さも知りました。大変なこともありますが、今まで関わった人たちに感謝の気持ちを伝えたいです。

 

「被災者だから」は甘え―高校3年生/福島県出身・在住/男性 

 僕は今、両親と離れ、いわき市の下宿先から高校に通っています。土日の食事や授業・部活動の準備、掃除、洗濯など身の回りのことはすべて自分でしなければなりません。テニス部の活動が終わって夜9時頃に下宿へ戻り、それから夕食や入浴を済ませるため、なかなか勉強時間をとれず、言い訳をしたくなることもあります。でも、僕は思います。「被災者だから我慢しなければならない」「1人暮らしをしているから勉強時間がつくれない」などというのは甘えです。今も21万8000人が仮設住宅で不自由な生活を送り、不安をかかえながら生きています。僕にできることは、せめて両親に感謝をし、目標に向かって、残り1年の高校生活を送ることだと考えています。

 

「大丈夫?」ではなく「大変でしたね」と―大学2年生/岩手県出身・山梨県在住/女性

 震災の影響で、地元を離れ、現在山梨で生活しています。被災地では、毎日数えきれないほど震災のニュースが溢れていましたが、私にとってそれらのニュースはどんな前向きな内容でも胸が苦しくなり、聞きたくないと感じるものでした。でも、離れてみると震災関連のニュースは少なく、「震災を経験していない人にこそ、届けるべき被災地のニュースがあるのではないか」と思うようになりました。被災した地元では震災を思い出さずに楽しめるニュースが、山梨では一人でも多く震災の情報を得るニュースが流れることを望んでいます。また、私が陸前高田から来たとわかると、みんなが「大丈夫でしたか」と口にします。気遣ってくださる気持ちが伝わり、とてもありがたいのですが、私はいつの間にか「大丈夫です」とつくり笑顔で答える習慣が身についていました。日本全国に震災で被災した人たちが生活していますが、大切な誰かをなくして「大丈夫」だった人はいません。どうか、震災の被害にあった人と出会ったら、「大丈夫?」ではなく「大変でしたね」と声をかけてください。

 

父に言いたかった「ありがとう」の言葉―大学2年生/岩手県出身・在住/男性 

 昨春、大学に入学しました。初めは、不慣れな街で知らない人ばかりのなか、不安でいっぱいでしたが、先輩や友人などたくさんの人との新しい出会いを通じて、「一期一会」という言葉を深く理解するようになりました。そして、出会いは本当に貴重だと気づくとともに、家族や自分とかかわりを持つすべての人に感謝や尊敬の念を伝えていくことが大切だと強く感じています。私は震災で父を亡くしました。その父に「ありがとう」の一言をちゃんと伝えられなかったことをずっと後悔しています。今、私が伝えたいこと。それは、人生において家族を含め出会いこそがすべてであり、そこには無駄なものは一つもないということです。親切にしてもらったことや当たり前とみなしがちなことに対する感謝の気持ちを忘れず、その想いをしっかり口にして伝え、生きていきたいと思っています。

奨学生たちへのご寄付の方法はこちら