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活動報告

被災地を支援する

NPOパートナー協働事業

2011/12/22

集団移転に向けて動き始めた小泉地区――協働パートナー紹介

東日本大大震災で甚大な被害を受けた地域では今、高台などへの集団移転の動きが本格化しています。宮城県気仙沼市の小泉地区は、被災地の中でもいち早く住民主導で移転計画を練り、移転に向けて動き始めた地域の一つです。Civic Forceは、NPOパートナー協働事業として、日本建築学会(地元協力団体 :小泉地区明日を考える会)とともに、地域主体の復興まちづくりをサポートしてきました。

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12月13日の活動報告で紹介した宮城県気仙沼市小泉地区は、2011年3月11日、十数メートルの津波に襲われ、同地区518世帯のうち266世帯が流出・全壊という被害を受けました。にもかかわらず、住民1,810人のうち死者・行方不明者は43人、全体の約3%という人的被害は、隣町やその他の沿岸部の集落に比べ奇跡的な低さと言われます。

なぜ小泉地区はこのように多くの生存者を残すことができたのでしょうか。「小泉地区の人的被害3%は決して運任せの結果ではない」というのは、北海道大学大学院工学研究院の森傑教授。建築計画・都市計画の専門家である森教授は、震災後、同地区から「集団移転を実現するための知恵と技術を借りたい」と相談を受けて以来、小泉地区の人々の移転をサポートしてきた人物の一人です。同地区では、ちょうど津波が来る1週間前に津波を想定した避難訓練を実施しており、その際、避難先としてそれまで指定していた場所を見直し、高台にある小学校への避難を決めるとともに、その決定を住民に知らせました。「小泉には、突然変更した避難場所をたった1週間で住民へ周知できるコミュニケーション力と誰がどこにいるかをみんなが認識し、互いに助け合いながら避難できる結束力があった」と森教授は分析しています。

そして、このことは震災後の小泉地区の立ち上がりの早さと大きく関係しています、と森教授は言います。小泉地区では、町一面が廃墟と化したにもかかわらず、翌月の4月に集団移転を念頭に置いた「小泉地区 明日を考える会」が結成されました。6月には集団移転協議会が立ち上がり、8月には小泉をモデル地区に選定した集団移転事業の実施を、国土交通省に要望しました。そして、11月には約100人が移転予定地の高台を視察し、移転先の候補を決定。12月9日に、気仙沼市へ防災集団移転促進事業の申込書が提出されました。

加速的に集団移転への取り組みを進めてきた理由は、地区全体が地盤沈下や農地の塩害が甚大だったためで、コミュニティの継承・持続の手段として、高台への移転は自然な総意だったのです。また、会代表の及川茂昭会長は、「漁村が多い三陸沿岸では、専業・兼業合わせて農家が8割を占めることも合意が早く進んだ理由の一つ」と言います。

さらに、小泉地区の移転計画のもう一つの特徴は、住民主導で移転計画を練ってきたこと。被災した住宅を集落単位で高台や内陸の安全な場所へ移す、政府の「防災集団移転促進事業」では、新たな宅地の造成費用として3次補正予算で計上された1・5兆円の復興交付金が計上される一方、住宅の建築費は被災者の自己負担となります。また、被災者はもとの土地を市町村に売却できますが、その金額や基準などについてはまだ不明な点もあります。コミュニティの存続すらも危ぶまれるこうした事態に対して、多くの市町村は、まちづくりの具体的な構想づくりに頭を悩ませています。そうした中、小泉地区は「小泉地区明日を考える会」が中心となって、住民が自主的に集まる場を設け、移転先の宅地の区割り、集会所や店の配置など、新しいまちづくりの構想を自分たちで練ってきました。

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(小泉地区の住民が集まって何度も話し合いをおこなっています) 

次回は、Civic Forceのパートナー協働事業として実施してきた小泉地区住民ワークショップの様子を紹介します。